黒い雲の間から赤い陽光が仄暗く揺れる、夕暮れ。
元より人口密度の高くないツォイクとはいえ、公都の目抜き通りであるというのに、人影がまるでない。
町中に、何かにおびえる逃亡者がそこかしこで物陰に潜んでいるような、重い空気が満ちていた。
湿った空気は街の中央、セント・ルイ大聖堂を中心に渦巻いている。
ゴシックにバロックが介入する、豪華で半端な大理石の固まりは、幾星霜もの時の果てに、陰鬱の具象と化していた。
二人の剣士は、香と花と涙の匂いを発する門扉の前に立った。
「要りますか?」
まるでリンゴでも勧めるように、エル・クレールは赤い宝珠をブライトの眼前に差し出した。
彼は不機嫌丸出しでにらむ。
「はっ、そんな『高価』な物!」
「これはそんなに高い物ではありませんよ」
「なにぬかしやがるか、この箱入り世間知らずがっ」
箱入りでない叩き上げの中年が、1ダース以上年下の相棒を怒鳴りつけた。
「いいか? 『ハーン大判』の相場は5,60ギュネだぜ。お前がいま持っているそいつは…どうやら赤瑪瑙のようようだが…それでもせいぜい…」
「高く見積もって5,6ギュネ…でしょうね」
エルは、師の役も兼ねるパートナーの言葉尻を、あっさりとさらって、微笑んだ。
それも、晴れやかに、にっこりと。
世間知らず故の失敗を諭してやろうと意気込んだ、その鼻っ柱を折られた形のブライトが眉をしかめる。
「…分かってるなら、なんでこんなモンに大枚叩いちまったンだ?」
「私は、こんなものを買うほど、莫迦じゃありません」
再度、にっこり。
「ほぇ?」
「大体、私が何時『この珠が欲しい』なんて言いました?」
三度、にっこり。
「そりゃ『欲しい』とは言っちゃいなかったが、値段を訊ねて…」
「私は、これの値を訊いたんですよ」
エルは古くさい宝石箱につもった埃を、愛おしそうに払った。
そうして、微笑みながら宣うに曰く、
「前王朝第七代セリメーヌ女帝は、『群青と銀色』の組み合わせが大層お好きで、ドレスも家具調度も、その色合いで御揃えになった。
中でも、ラピスラズリにプラチナを象眼した品がお気に入りで、臣民への下賜も、同様の細工の小物箱が多かった」
白い指が、宝石箱の底を指した。
二百年昔の女皇帝のイニシャルが、深海色の貴石に刻まれている。
ブライトは息を呑んだ。
「汚れはしても壊れてはいません。磨き上げてから解る人の前に出せば、5,600ギュネの値が付くはずです」
更に、にっこり。
感心するやら呆れるやら。
「何と阿漕な」
ブライトがさっき呑み込んだ息を吐き出すと、エルは薔薇色の頬を膨らませた。
「暴利を貪るつもりはありません。差額は儲けではなく、名誉毀損の慰謝料です」
「慰謝…?」
「あのご婦人、私に向かって何と呼び掛けました?」
「さぁ? 何か、言ったっけか?」
エルは唇を曲げた。
「『若旦那』と」
相棒の憮然とした表情を見て、ブライトは思わず…爆笑した。
「ぶははははははははっ!」
「『美丈夫』とも」
「どははははははははっ!」
「笑い事ではありません」
エル・クレール=ノアールは、右前合わせのシャツに包まれた丸く豊かな胸を憤然と張り、前窓付きのズボンをはいた柔らかく細い腰に両拳を当てて仁王立ちした。
「そんな衣姿してりゃぁ誰だって…」
ブライトは素早く相棒の背後に回り込み、
たわわな双丘を鷲掴んだ。
「こーでもしなきゃ、男じゃないって判りゃしないさ」